どうも菊田です。あなたは
千と千尋の神隠しを観たことありますか?
菊田はジブリ作品ヒジョーに大好きですが、
どの作品にも現代社会やその当時の世界観、
その設定が細かいところなどが好きな理由です。
作品を見る中でその設定を考えさせらながら
そこに込められたメッセージを見つける。
僕はどんな番組でも商品でも、
広告やちょっとした人の言動でも
その見たものの真相を見るように意識します。
そこで今回はジブリで登場する
カオナシの設定をもとに話をしていきます。
■カオナシは無個性な大衆
カオナシというネーミングから察するに、
「顔無し」という解釈は誰でも考えます。
それは菊田も正解だと思います。
ではもっと掘り進めていくと、
顔が無いという無表情や喋れないという
自己発信力の無さ→無個性という事にたどり着く。
今の時代は情報にあふれた時代です。
そこで生まれるのが自分の意見を持たないまま
うわべの情報のみに流された大衆を意味します。
他人の声を使わないと意志を伝えられない、
手から砂金を生み出して欲望のまま人を動かすが、
本当に欲しかったものは振り向いてくない。
そのため主人公の千尋は人の相対的な象徴として
人の成長を表してくれていると思います。
ファッションなんかでも僕らのような仕掛ける側の誰かが
ファッション誌などを使って「流行りだから」という
理由で購入させるように仕向けることに何の疑いもなく
大衆は購入して身に着けています。
菊田は基本、土日や祝日は外に出ません。
理由は平日の方が機関的な部分やサービスが充実し、
コストパフォーマンスが高いからという理由です。
それを自分で選択できるように
自分がどの経済的な位置に立てれば可能かを考え、
実践を繰り返して今現在その環境にいます。
そして身に着けるものに関しても
自分が価値があると思うものにお金を払う。
それがノーブランドなのかハイブランドなどで
判断したりはしない。
もちろんここにも理由がある。
この対象が物ではなく人間ならば、
有名じゃないから尊敬しない、
年上じゃないから尊敬しない、
ジャンルが違うから尊敬しない
こんな見方になってしまうからだ。
それでイイと思う人ならいいのですが、
僕は凄い人は凄いと思いたいのである。
しかしGW中に街中を見てみれば、
他人同士なのにペアルックがあちらこちらで見つかる。
好きな買っている人もいるのですが、
あまりに多く見かけるとあきれてくる。
今だに忘れられないのが、
平日の渋谷で知り合いの社長と朝方まで遊んで
語り明かした後に温泉とマッサージに行こうとした時の
僕らとは逆方向に歩く人の人の波だ。
僕ら二人とは逆に何百人もの人が、
全く同じ方向に流れていく様子は凄かった。
今思うとカオナシが大勢を飲み込んで
巨大化した姿にそっくりに見えていたかもしれない。
とはいえ僕が情報に流されない人かといえば、
全然そんなことはないんです。
菊田もがっつりと流されます!(^^
流行っているなら知りたくなりますし、
体験してみたくもなります。
ビジネスでも同じ事で、
これが流行っているといわれれば
リサーチしまくって出来る事はすべてやります。
そもそも自分の今までの人格を全否定して
モノマネしまくって自分のものにしていきます。
それは自分がそう選択する定義や理由が、
はっきりと決まっているからです。
その結果、自分の目指すビジョンや環境を
手にする事が出来ている状態なら正解だと思います!
もしそうでない場合は、
あなたの人格や定義は他人のもののかもしれません。
何が言いたいのかというと、
カオナシにならず必ず自分を見つけるように
探し続けてチャレンジし、自己発信をやめない事が、
物や情報があふれた世界ではとても重要だということです。
本日もツバメの巣が出来上がるのを
のほほんと見つめている菊田でした(^^♪
ネットの普及で質の低い情報が溢れかえりましたからね、こんな時代だからこそ信憑性のある発信元の質の高い情報をより一層大事にしていきたいですね〜